<< March 2014 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
大船渡へ
写真 14-03-01 11 10 49.jpg
今月の初め、体調を悪くした祖母のお見舞いに
大船渡へ行ってきました。
祖母の入院している病院は大船渡市にあり、
JR大船渡線の盛駅が最寄りです。
東京駅から東北新幹線で一ノ関駅へ、
一ノ関駅から盛駅までが大船渡線となりますが、
震災後は長らく、津波の被害で気仙沼〜盛間は
運行が復旧せずにいました。
昨年の3月からは、線路の断絶していた部分が道路になり、
そこをバスが走るBRT(バス高速輸送システム)
の運行が始まりました。
子供の頃に祖父母の家へ行く時には
必ず大船渡線を利用していましたが
大人になってからは、車で行くことが多かったので、
大船渡線の列車に乗るのは久しぶりで、
気仙沼までの窓から見える景色はとても懐かしいものでした。
上の写真は気仙沼駅で列車から乗り換えるバスです。
岩手県のキャラクターがペイントされています。

気仙沼駅でのバスへの乗り継ぎは電車を降りると、
一度改札を出るよう案内され、バスの切符を買い、
気仙沼駅舎の向かいにある停留所でバスを待ちました。

写真 14-03-01 11 59 15.jpg
バスは専用道路を走るものと思っていましたが、
気仙沼からしばらくは一般道を通ります。

写真は途中に通る陸前高田市内、津波の被害が大きかった地域です。
昨年夏に来た時より、高台移転の工事が進んでいるように見えます。
橋?ができている。。。と思い驚きましたが、
この橋のようなもの、
土砂を運ぶ為のベルトコンベアーだそうで、
山へと続いています。
あの「奇跡の一本松」も、
ベルトコンベアーに隠れてしまっていますが、
左側に少しだけ頭が写っています。

写真 14-03-01 12 32 18.jpg
陸前高田を過ぎるとまもなくバスは専用道路
(元々は線路だったところ)を走ります。
写真は細浦駅。祖母の家があった所と、
現在住んでいる仮設住宅からの最寄り駅になります。
震災前は木造の駅舎があり、
線路は駅舎から階段を上がったところにあったのです。

写真 14-03-01 12 33 41.jpg
細浦駅でバスが止まっている間、窓から海側を見ると、
祖母の家の跡地が見え、変わってしまった景色を眺めていました。
線路まで波にのまれるとは誰も思わなかった事でしょう。

病院に到着し、祖母に会うと思ったよりも元気そうで一安心。
新しい細浦駅の写真をみせたり、筆談でのやりとりで、
一通り用事を済ませて病院を後にしました。

写真 14-03-01 16 29 03.jpg
盛駅から帰りの大船渡線に乗り込むと、
学生さん達の帰宅で少しだけ混雑。
卒業式だったのか、花束や寄せ書きの色紙を手にして、
ワイワイとおしゃべりが続く車内。
少し酔っ払ったようなおじさんが、
男の子達に楽しげに話しかけていて、
しまいには、「食べっか。」とつまみの竹輪を差し出された子も。
少し困りながらも素直に竹輪を食べている様子が微笑ましく、
素朴な学生さん達の様子にほっとした気持ちになりました。
そんな和やかで賑やかな車内も、
陸前高田市内沿岸部に入ると、
突然静かになりました。
みんな、窓の外を黙って見つめ、陸前高田駅に着くと
ほとんどが降りて行きました。
「じゃあね〜」と、いつも通りといった感じの挨拶をして。
彼らは3年前の震災で、沢山の苦難を経験した事でしょう。
今もそれは続いているのだろうし・・・
この若い人たちは、数々の逆境を乗り越えた分だけ、
きっと強く優しくなれるのではないかと思います。
彼らが描く未来が明るいものでありますように。

そして、彼らや子供達の未来の為に
彼らの先輩である私達やもっと上の世代も皆一緒になって、
真剣に取り組むべきことがあると思います。
知らずにいた事や、見過ごしていた数々の事、
根本的な問題にもっと目を向けて。

2011年3月11日の東日本大震災から3年が経ちました。