大船渡へ
2014.03.11 Tuesday
今月の初め、体調を悪くした祖母のお見舞いに
大船渡へ行ってきました。
祖母の入院している病院は大船渡市にあり、
JR大船渡線の盛駅が最寄りです。
東京駅から東北新幹線で一ノ関駅へ、
一ノ関駅から盛駅までが大船渡線となりますが、
震災後は長らく、津波の被害で気仙沼〜盛間は
運行が復旧せずにいました。
昨年の3月からは、線路の断絶していた部分が道路になり、
そこをバスが走るBRT(バス高速輸送システム)
の運行が始まりました。
子供の頃に祖父母の家へ行く時には
必ず大船渡線を利用していましたが
大人になってからは、車で行くことが多かったので、
大船渡線の列車に乗るのは久しぶりで、
気仙沼までの窓から見える景色はとても懐かしいものでした。
上の写真は気仙沼駅で列車から乗り換えるバスです。
岩手県のキャラクターがペイントされています。
気仙沼駅でのバスへの乗り継ぎは電車を降りると、
一度改札を出るよう案内され、バスの切符を買い、
気仙沼駅舎の向かいにある停留所でバスを待ちました。
バスは専用道路を走るものと思っていましたが、
気仙沼からしばらくは一般道を通ります。
写真は途中に通る陸前高田市内、津波の被害が大きかった地域です。
昨年夏に来た時より、高台移転の工事が進んでいるように見えます。
橋?ができている。。。と思い驚きましたが、
この橋のようなもの、
土砂を運ぶ為のベルトコンベアーだそうで、
山へと続いています。
あの「奇跡の一本松」も、
ベルトコンベアーに隠れてしまっていますが、
左側に少しだけ頭が写っています。
陸前高田を過ぎるとまもなくバスは専用道路
(元々は線路だったところ)を走ります。
写真は細浦駅。祖母の家があった所と、
現在住んでいる仮設住宅からの最寄り駅になります。
震災前は木造の駅舎があり、
線路は駅舎から階段を上がったところにあったのです。
細浦駅でバスが止まっている間、窓から海側を見ると、
祖母の家の跡地が見え、変わってしまった景色を眺めていました。
線路まで波にのまれるとは誰も思わなかった事でしょう。
病院に到着し、祖母に会うと思ったよりも元気そうで一安心。
新しい細浦駅の写真をみせたり、筆談でのやりとりで、
一通り用事を済ませて病院を後にしました。
盛駅から帰りの大船渡線に乗り込むと、
学生さん達の帰宅で少しだけ混雑。
卒業式だったのか、花束や寄せ書きの色紙を手にして、
ワイワイとおしゃべりが続く車内。
少し酔っ払ったようなおじさんが、
男の子達に楽しげに話しかけていて、
しまいには、「食べっか。」とつまみの竹輪を差し出された子も。
少し困りながらも素直に竹輪を食べている様子が微笑ましく、
素朴な学生さん達の様子にほっとした気持ちになりました。
そんな和やかで賑やかな車内も、
陸前高田市内沿岸部に入ると、
突然静かになりました。
みんな、窓の外を黙って見つめ、陸前高田駅に着くと
ほとんどが降りて行きました。
「じゃあね〜」と、いつも通りといった感じの挨拶をして。
彼らは3年前の震災で、沢山の苦難を経験した事でしょう。
今もそれは続いているのだろうし・・・
この若い人たちは、数々の逆境を乗り越えた分だけ、
きっと強く優しくなれるのではないかと思います。
彼らが描く未来が明るいものでありますように。
そして、彼らや子供達の未来の為に
彼らの先輩である私達やもっと上の世代も皆一緒になって、
真剣に取り組むべきことがあると思います。
知らずにいた事や、見過ごしていた数々の事、
根本的な問題にもっと目を向けて。
2011年3月11日の東日本大震災から3年が経ちました。